大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大分地方裁判所 昭和47年(わ)211号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

第一、本件公訴事実

被告人は、日本電信電話公社々員の一部をもって組織する全国電気通信労働組合大分県支部大分電話局分会の組合員にして、昭和四七年五月一五日午後一時ころより大分市府内町三丁目一〇番所在の大手公園において開催された『五・一五沖繩返還・春斗勝利集会』に参加するとともに、同集会終了後同集会参加者約一、一〇〇名とともに同公園より国鉄大分駅に向って集団示威行進を行なったものであるが、同日午後二時三分ころ同市府内町一丁目一番一号先車道上を行進中、同示威行進に参加していた同組合員ら約一〇〇名とともに、一般交通の安全と円滑を阻害するような片側車道いっぱいになって行進するいわゆるフランスデモ行進をしたことから、大分県警察本部警備部機動隊所属矢野公博巡査(当二二年)らより同フランスデモ行進の制止を受けるや、同巡査に対し、『何や』と叫んで同巡査の左胸部を手けんで一回強く空手突きするの暴行を加え、もって同巡査の職務の執行を妨害したものである。

第二、弁護人らの主張

右公訴事実に対し、弁護人らは、被告人が暴行を加えた事実を否定し、かりに暴行の事実があったとしても、もともと道路交通法七七条は本件のごとき集団示威行進(デモ)に対して適用されるべきではなく、これを根拠とする警察官の規制は適法な公務執行たり得ないのみならず、本件の場合、現実に被告人らが大分警察署長の付した道路使用許可条件に反して一般交通の安全と円滑を阻害するようなフランスデモ行進をしたことさえもないのであるから、いずれにしても本件公務の執行は違法であって公務執行妨害罪が成立する余地はない、というのである。

第三、当裁判所の判断

まず、当裁判所が関係各証拠を総合して認定する事実関係は、次のとおりである。

一、本件デモの概況および本件逮捕現場付近に至るまでのデモ隊の状況等について。

1  大分県労働組合評議会ならびに社会党、共産党の各大分支部は、五・一五沖繩返還、春斗勝利統一行動の一環として、昭和四七年五月一五日、三者共催のもとに同県下の労働組合員らを集めて、大分市府内町三丁目一〇番所在の大手公園において「五・一五沖繩返還、春斗勝利」をスローガンとした大分県集会を開催するとともに、これにひきつづき、同公園から昭和通りを西進し中央通りで左折南進して国鉄大分駅前に至るコースの集団示威行進を行なうことを計画し、同月一三日、大分県労働組合評議会委員長山亀健蔵名義で所轄大分警察署長に対し、道路交通法七七条一項に基づき、同月一五日午後一時三〇分から同四時三〇分までの前記デモコースに該る道路の使用許可申請をし、同警察署長は、同月一五日、同法一一条、七七条三項により、行進隊列は四列縦隊とし、一隊の人員はおおむね一〇〇名限度の編成で、各隊列間の距離は一〇メートルを保つこと、道路(歩車道の区別のある道路では車道)の左側端を通行すること、行進中蛇行進、渦巻行進、逆行進、かけ足行進、道路いっぱいになって行進するなど、一般交通の安全と円滑を阻害するような行為を絶対行わないこと等の条件を付して右申請を許可した。

2  同年五月一五日午後一時四〇分ころ、大分県下の各職場から参加した労働者約千百名は、予定どおり大手公園での集会を終えたのち、広報車を先頭に各職域ごとに一てい団を編成して所定コースの集団示威行進に移ったが、被告人も、全国電気通信労働組合(全電通)大分県支部大分電話局分会の青年会議議長として、全デモ隊の比較的後尾に位置する約一〇〇名の全電通てい団に属して行進した。

3  全デモ隊は、各てい団ともほぼ四列縦隊で整然と行進を続けていたのであるが、午後一時五〇分ころ、全電通てい団に後続する約三〇名の国鉄労働組合(国労)のてい団が、昭和通りの農林中央金庫前付近でジグザグデモを開始し、最初は道路左側二車線に及ぶ程度のものであったのが、次第に蛇行の幅を広げ、中央通り大分銀行前付近にさしかかるころにはこれが左側車線いっぱいに及んできたため、午後一時五五分ころ、大分警察署の応援要請を受けて待機していた大分県警察本部警備部機動隊一般部隊(以下「機動隊」という。)のうち青木彦人警部補の指揮する第一小隊第一分隊の機動隊員一〇名により右ジグザグデモ行進中の国労てい団に対する片側併進規制がなされ、この規制は同てい団が大分駅前外堀交差点手前約六〇メートルの中央通り篠原金物店前付近に達するまで続けられたが、その間右国労以外の各職域てい団に格別の混乱はなくほぼ平穏かつ整然たる行進が行われていた。

(以上認定事実の証拠の標目≪省略≫)

二、本件逮捕現場付近におけるデモ隊の状況等、特に全電通てい団によるフランスデモないし道路交通法七七条所定の許可条件違反事実の存否について。

検察官は、そのころ本件デモ隊の流れが停滞すると同時に全電通てい団の労働組合員が前記道路使用許可条件に反して道路いっぱいに広がるいわゆるフランスデモを開始し、そのため一般車両の通行を全く阻害した、と主張するのに対し、弁護人らは、全電通てい団は当時信号待ちのためわずかに隊列を乱したことはあったが、右のようなフランスデモはもちろん道路いっぱいに広がった事実もない旨反論するので判断する。

1  まず、本件事件当日本件デモ隊の規制に当った機動隊員である青木彦人警部補、橋本義隆、渡辺由美、西本徹男、矢野公博各巡査あるいは逮捕現場付近で採証活動に従事していた菅和男巡査らは、当公判廷における各証言で、本件全電通のてい団がそのころことさら片側車道いっぱいに広がり、規制のため第一分隊の機動隊員が前進するのに困難をきたすほどであった旨、一応前記検察官の主張に副うごとき供述をなしている。

2  しかしながら他方で、後記関係各証拠によると、当時のデモ隊の状況を窺わせるものとして左記の各事実、すなわち、

(一) 大分警察署は、本件集団示威行進に関し、前記許可条件違反その他の違法事態の発生に備えて、芦刈賢治、菅和男、河野務各巡査ら数名の採証班員をして、それぞれ写真撮影による証拠収集に当らせていたところ、右採証班員らは本件デモ隊を対象にフイルム六本ほどの撮影を行っているのであるが、そのなかには検察官主張のように直接フランスデモ行進が行われている状況を撮った写真は一枚も存在しないばかりか、現場写真撮影報告書(検第三号)のNo.12(芦刈賢治撮影)および現場写真撮影報告書(検第一〇号)のNo.12(河野務撮影)の写真二葉が僅かに、全電通てい団の隊列の乱れを窺わせるほかは、デモ隊が道いっぱいに広がった状況を如実に撮影した写真さえも見当らないこと。

(二) 右第三号証の各写真を撮影した採証班員の芦刈賢治は、本件逮捕がなされたころ、全電通てい団のまさに真横である反対側歩道上(カワイ楽器店前付近)に位置して採証活動に従事していたのであるが、デモ隊の違法状態を撮影するのが本務であった同人においてなお、目前のデモ隊が現にフランスデモを行っていたことの認識がなく、僅かに「デモ隊が何か一部広がったよう」にしか感じていなかったこと。

(なお、前記検第三号のNo.12の写真さえも、同巡査がデモ隊側に違法状態があると認めて撮影したものでなく、実施部隊である機動隊の移動に応じ、それに焦点を合わせたに過ぎない旨を証言している。)

(三) 右検第三号のNo.12の写真(拡大写真検第九号)は、他の関係証拠と対比してみると、前記ジグザグデモの片側併進規制を受けていた国労てい団が大分駅前交差点手前の札幌ラーメン「どさん娘」店前付近に至ってほとんど全電通てい団に接続する形に追いついた際、右国労てい団の規制を解除して撤収途中の前記第一分隊の機動隊員に対し、後記のとおり、青木小隊長が全電通てい団のフランスデモを行っているものとみてこれに圧縮規制を加えるべく、指揮棒を振るって「前へ」の号令をかけ、これに応じて同分隊員らが前進を開始し、同時にその時既に新らたに導入された第二、三分隊の機動隊員の大部分(機動隊員の総数は二九名まで数えることができる)が国労てい団の横付近に詰めかけている情景を写しているものと確認できるのであるが、さらにこれを検第四号の実況見分調書添付の現場見取図第五図に照らしてみると、同写真の右端の街路灯電柱前付近が本件被害者とされている矢野巡査らが圧縮規制を開始した箇所と認められ、そうだとすれば、検察官が主張するところの全電通てい団のフランスデモなるものは、まさに同写真に撮られている全電通てい団の状況を指すものと解せざるを得ないので、あらためて同写真を検するに、その中での全電通デモ隊員と覚しき各人は、全員が立ち止ったうえその大部分が後を振り向き後方を漠然と眺めている様子が認められるのみならず、当時採証活動に従事していた筈の前記菅巡査(同写真右端寄りの背広姿の男)さえもこの段階において特に緊張した表情をみせることなく、むしろのんびり後方に視線を送っている有様が窺えるほか、前記第一分隊の機動隊員の先頭は、丁度全電通てい団の右傍に佇立している右菅巡査と同てい団のデモ隊員の間を通り抜けようとしているのに格別の障害があるようには見受けられず、また圧縮規制のために前進する第一分隊の機動隊員に対してデモ隊員側が何ら特段の反応を示している風もないことから、同人らにおいては自分達が右圧縮規制の対象にされていることの認識さえ欠如していたものと推認されること。

(四) 同じく検第一〇号のNo.12の写真(拡大写真検第一五号)を検するに、これは、本件逮捕が行われた約一分前の全電通てい団の状況を撮ったものであるが、同写真によると、同てい団デモ隊のほぼ最右翼に位置すると思われる被告人を含めてその隊列はかなり乱れており、整然たる四列縦隊の場合と比較してはある程度道路中央寄りに広がっていることが窺えるのであるが、右写真を手がかりにその撮影者である河野務巡査を立会人として当時の状況を再現して被告人の位置関係を明らかにした実況見分調書(検第一二号)に基づけば、被告人が同写真を撮られた際の位置は、当時デモ隊が通行していた片側車道の右側端(電車軌道撤去工事のため通行禁止になっていた箇所)まで約一・六五メートルを残す地点であることが推認されること。

なお、写真にみえる全電通のデモ隊員の姿態ないし表情をみても、その大部分がデモ隊の進行方向とは逆に後向きになって何やら後方を眺めている風情であり、全体的にみても隊員の各自が思い思いの一ときを過ごしている情景と看取されるのであって、少くともこの瞬間において右デモ隊員相互の間には統一的、組織的な共通の行動目的ないし意思が存在していたとは毫も認められないこと。

(五) 次に、当日大分警察署採証班録音係として、カセットテープレコーダーを装備して本件デモ状況の収録に当っていた谷尾英凞、林田紀幸両巡査のそれぞれ作成にかかる録音テープ二本を再生した結果からみても、もし収録者である右両巡査において、注目するに足りる本件デモ隊の違法状態を発見したならば、当然その状況の説明がなされる筈でありながら、(現に前記国労のジグザグデモならびにそれに対する機動隊の規制の状況については逐一説明がほどこされている)、ついに最後まで全電通デモ隊ないしそれと覚しき集団がフランスデモを敢行したとか車道いっぱいに広がったとかの指摘がなされていないこと。

(なお、右両テープによれば、当日午後二時一分過ぎころ中央通りの南進車両は、ジグザグ行進中の国労てい団から約五〇メートル後ろの本件デモ隊最後部付近に二、三列に渋滞しているとの指摘があり、同二時二分前ころ「国労付近が機動隊とせり合っておる。」旨の説明が「ワッショイ、ワッショイ」という騒然たる状況とともに収録されたのち、その約二〇秒後に「大分警察署長からデモ隊の諸君に注意します。道路いっぱいに広がっての行進は条件違反ですので、直ちに指揮者は左端に寄せなさい。左端に寄って正常な行進に移らせなさい。」というマイクによる警告(約一五秒間)が行われ、同警告後三〇数秒を経た同三分ころデモ隊員一名の逮捕が行われたらしい状況が報ぜられている。)

(六) 当日前記大分駅前の外堀交差点において交通整理に当っていた溝口郁夫巡査は、同交差点における南北方向(本件デモ隊の進行方向)の停止信号の時間は四四秒であり、同巡査は、当時信号機の表示に従って本件デモ隊の進行を途中で分断して止めたところ、まもなく停止中のデモ隊先頭部より一五メートルないし二〇メートル後ろ付近の隊列が次第に広がったとみるうちに機動隊の規制があり本件逮捕が行われた、それはデモ隊を信号で止めてからせいぜい一分位の出来事でデモ隊が青信号になって再び進行を始めたころと思う。デモ隊が停止前広がって行進していたことはみていない。」旨の証言をしていること。

(七) 本件デモ隊が進行中であった中央通り東側車道の幅員は当時中央部の電車軌道撤去工事中の部分を除いて八・八メートルで三車線が確保されていたが、後記のとおり、第一分隊の機動隊員が前進して全電通デモ隊に対する圧縮規制を開始した地点は、捜査官側のみの立会による実況見分調書(検第五号)においてさえ、前記矢野巡査らの位置で車道右端より約二メートルの余裕があり、デモ隊最右翼にいた被告人はそれよりさらに四、五〇センチメートル内側に位置していたというのであるから、少くとも圧縮規制開始時においては、全電通デモ隊の右側には未だ車両が優に通行できるだけの間隔が残されていたこと。

(八) 前記録音テープより聴取される本件逮捕行為がなされたらしい時点から逆算してみると、前記国労てい団付近での騒然たるせり合いがなされたのは、その約一分一〇秒前でまさしくデモ隊前部が前記外堀交差点の信号で止められる直前ころと推認されるが、他方で全電通てい団は信号機によるデモ隊の停滞後に初めて隊列を乱したとみられるところ、前記各写真に見受けられるように全電通デモ隊員の大部分が立ち止ったまま後方を眺めていたその対象は、他に同人らの関心を引くに足る格別の現象があったことの認められない本件においては、前記国労てい団付近での機動隊とデモ隊とのせり合いをおいて他に考えられないこと。

以上の事実を認定することができる。

3  そして、右の諸事実を総合対比して事案を検討するに、本件デモ隊ないし全電通てい団の本件逮捕現場付近の状況については、結局次のとおりに認定されるのであって、前記検察官の主張に副う機動隊員らの各証言は、右認定に反する限りにおいてこれを措信することができない。

すなわち、本件デモ隊は、前記国労てい団を除きおおむね平穏かつ整然と行進を続け、同日午後二時過ぎころにはその先頭集団がデモコース最終地点である国鉄大分駅前に到着して逐次いわゆる流れ解散に移り始めていたのであるが、たまたま駅前外堀交差点が赤信号に変ったため教職員組合てい団の後尾あたりが行進を止め、これに後続する県職労、全逓、全電通等の各てい団も同様に信号待ちのため立ち止まったところ、丁度そのころジグザグデモの片側併進規制を受けてきた国労てい団付近に新たに第二、三分隊の機動隊員が導入されたことで右国労てい団のデモ隊員らがこれに反撥し騒然たる雰囲気を呈するに至ったため、その直前にいた全電通てい団のデモ隊員もいきおいこれに関心をそそられ、デモ行進が前示のように停滞したのをきっかけに、たまたま付近の交通がデモ隊最後部付近における通行車両の停滞により一時的に途絶状態にあったこともあり、デモ隊員各人が別に何らの意思連絡をすることもないまま、後方の国労てい団付近様子を確かめるべく、従来の隊列を乱して次第に道路中央寄りに広がるに至ったのであるが、その広がりの程度は、同てい団最右翼においてさえなお少くとも道路右側に約一・六五メートルの余裕を残しており、決して片側車道いっぱいをうずめたわけでなく、加えて、程なく前方の信号が青に切り替り再びデモ隊の行進が始まった時点(まさにこのころ機動隊による圧縮規制が開始されたものと認められる。)においては、同てい団の隊列は自発的に幾分狭められ、その右側道路の間隔は約二・五メートルの巾員にまで戻りその傾向からすれば、更にデモ隊の前進が続くにつれて次第に隊列は正常に復することが予想された状況であった。

(以上認定事実の証拠の標目≪省略≫)

4  さてそこで右の認定に基づき、はたして検察官主張のとおり、当時被告人の所属していた全電通てい団にフランスデモないし道路交通法七七条の許可条件違反の事実があったか否かを判断する。

まず、フランスデモの存否についてみれば、同てい団は前記認定の状況の下、信号待ちの停滞中にデモ隊員各自がめいめい後方の様子を眺めるためたまたま四列縦隊の隊列を乱してある程度道幅広くふくらんだ事実こそ認められるのであるが、これはいわば偶発的かつ一時的な現象に過ぎず、これがデモ隊員相互において特定の主義主張の効果的な表現手段とすることの認識に裏づけられた共通の組織的連帯感を懐いてことさら道路いっぱいに広がった場合であるとは到底認め難いところであり、これをもってフランスデモと評価することができないのはいうまでもない。

次に、前記全電通てい団の隊列の乱れそのものが道路交通法七七条にいう許可条件に違反した違法なものであったかどうかを考究するに、前記のとおり、本件集団示威行進について大分警察署長が道路交通法一一条、七七条三項に基づいて付した条件の一つに、道路いっぱいになって行進するなど一般交通の安全と円滑を阻害するような行進をしてはならない旨の定めがあり全電通てい団の隊列の広がりは前示のとおり八・八メートル幅の片側車道中最大限で右側方一・六五メートルを余す程度のものであるが、これは所定の四列縦隊行進に本来必要な道路占有幅を越えて道路の大部分を占めたことになり、また右側方の間隔にしても、道路右端部には電車軌道撤去工事のためロープが張られていた事情ともあいまって車両の通行確保に十分な余裕を残したとはいえないことなどからみると、一見右隊列の広がりが前記許可条件に抵触するかの感がないわけではない。

しかしながら、右隊列の広がりの実態をつぶさに観察するならば、前記認定のとおり、右側方一・六五メートルを余す程度の隊列の広がりというのも、たまたま全電通のてい団が前方交差点での信号待ちのため暫時停滞した間同てい団最右翼に位置すると思われるデモ隊員の一人のみを基準として測定した結果に過ぎないものであるがこれが一分足らずの信号待ちが終って再び行進を開始した時点にあっては、既に隊列の右側方(機動隊員の存在を除いて)には車両通行に支障を来たさない程度の約二・五メートルの余裕を生ずるに至っており、しかも右隊列の乱れの原因が、単に信号待ちの僅かの時間デモ隊員各自がたまたま後方の国労てい団付近に生じた騒然たる動き(機動隊員の新規導入に原因すると推認される)の様子を確かめようとした偶発的なものであって決して相互の意思連絡を伴った意図的なものではなかった以上、てい団の前進につれて次第に隊列が整備されていくだろうことは十分予測され得る場合であったのは前述のとおりである。

しかも一方で、当時デモ隊が進行中の道路の通行車両は全電通てい団とは何らの関係もない何らかの他の原因により後方数十メートルの全デモ隊最後方付近において既に停滞中であり、同てい団付近はいわば交通途絶状態にあった事情も併せてみれば、僅か信号待ちの間の全電通てい団の前記程度の隊列の乱れが現実に同所での交通の安全と円滑を阻害していなかったのはもちろん阻害するおそれがあったとも認められない。

つまり、その当時における全電通てい団の隊列は、せいぜい何十秒かの間片側車線の相当部分を占拠して広がった事実こそ窺えるものの、前記検討のとおり、その広がりの原因、態様、その後に予測される隊列の変化もしくはその当時の当該道路における具体的交通状況等に徴するときは、未だこれが道路交通法七七条に基づいての前記許可条件に違反した状態にあったとみなすことは到底できないところである。

(そもそも、本件のごとき集団示威行進は、本来憲法二一条で保障する基本的人権である表現の自由に由来するものであって、国民が自己の思想を主体的かつ集団的に表明する限られた手段として、公共の福祉に反しない限りにおいて、最大限の尊重を受けなければならないのであるから、これが交通の秩序維持もしくはその安全確保との関係である程度の規制を受けるのはやむを得ないものとしても、それは必要にして最小限度のものでなくてはならないのはいうまでもない。

したがって、道路交通法七七条に基づいて所轄警察署長が集団示威行進に一定の許可条件を付することができるにしても、それが自由裁量による無制限のものでないのはもちろんかりにも許可を口実に集団意思の表現の自由を阻害するようなことがないよう十分留意しなければならないことも当然である。

そして、このことは単に付し得る許可条件そのものが、適正かつ合理的なものであれば足りるわけでなく、その具体的運用の場面においても、許可条件の形式的な遵守を強要する形で不当に集団示威行進の円滑な実施を制限することがあっては決してならないのである。

本件についてこれをみれば、前記全電通てい団の隊列の広がりがただ本来の隊列を乱すもので不必要に車道上を占有しているという形式面のみに着眼し、前記具体的状況に基づいての実質的評価、検討を怠りただちに前記許可条件に違反するものと即断することの不当さは多言を要しないところであろう。)

三、機動隊による全電通てい団等に対する具体的規制の状況等について。

1  全電通てい団に対しての圧縮規制の指揮状況。

機動隊第一小隊長青木警部補は、国労てい団のジグザグデモに対し指揮下にある第一分隊(一〇名)をもって片側併進規制を加えながら前記中央通り篠原金物店まで至ったが、デモ隊前部が停滞するとともに国労てい団もほとんど立ち止った形になった際、それまでデモ隊の反対側歩道上を併進してきていた控えの機動隊第二、三分隊員約二〇名が応援に派遣されてきたところで、国労てい団に対する規制の必要がなくなったとして第一分隊の機動隊員に対して撤収を命じ、いったん道路右端に全員を下げた上自ら南方へ二〇メートル程進んだ札幌ラーメン「どさん娘」店南端前付近において、全電通てい団の前記隊列の広がりをフランスデモの状態と認め、同時に大隊長からの下命を受けてこれに圧縮規制を加えるべく、指揮棒を振って第一分隊員に「前へ」の指示を与え、これに応じた第一分隊員は分隊長首藤十三夫を先頭に一列になってデモ隊の右側方を足早やに前進し、同人が立ち止ってふり返ったとき「圧縮始め」の指示を行った。

2  第一分隊員による圧縮規制状況。

右青木警部補の前進命令を受けた第一分隊員は、前記首藤分隊長を先頭に古川、橋本、渡辺、西本、矢野各巡査の順に一列縦隊で全電通てい団の右横を進行し、再び右青木の指揮で立ち止まると同時にデモ隊側に向き直り、両手を逆八の字型に構えて圧縮規制に入ったが、その際における右各巡査の位置関係は、撤収を始めたとする前記篠原金物店前付近から、首藤において三十数メートル、橋本、渡辺、西本、矢野らにおいて約三十メートル南進した地点であり、右橋本らの四名は、前記「どさん娘」店南側端から約十メートル南方の車道右側約三メートルの間に一メートル前後の間隔を置いて並んだ。

3  機動隊員の服装ないし装備の状況。

右圧縮規制に当った機動隊員の当時の服装は、石や角材などによる相当強力な攻撃から身体を護るため、いずれも防護服(胸、胸下、背中などにジュラルミンの各片を入れ込んだチョッキ様のもの)を着用し、頭にヘルメットをかぶり、更に固い材質のものでできた小手当て、すね当てをはめたいわゆる機動隊員が治安警備に出勤する際の完全武装といえる体のものであった。

(以上認定事実の証拠の標目≪省略≫)

四、本件暴行の有無について。

検察官は、その冒頭陳述において、被告人は、第一分隊員による圧縮規制開始直後、まず規制中の機動隊員橋本巡査の左腕を右肘で突き、続いて北隣にいた渡辺巡査の胸部を右手拳で空手突きしたがこれをかわされたところ、さらに西本巡査一人を置いて北隣にいた矢野巡査から「何しよんかね、君は。」と注意されたのに激昂し、「何や。」と怒声をあびせると同時に、右手拳を固めて右胸脇に構え上体を右にひねりざま左足を一歩踏み出して右手拳を前に突き出すいわゆる空手中段突きで右矢野巡査の左乳頭部付近を強打し、同巡査は激しい一撃で思わず「うっ。」とうめいて上体をうしろにのけぞった旨被告人が三人の機動隊員に対して連続的な暴行行為に及ぶとともに右矢野に対する暴行が極めて激しいものであったと主張するのに対し、弁護人らは、右のような暴行が物理的に不可能であることなども挙げて暴行事実を否定するので、以下証拠に基づいて検討する。

1  橋本巡査関係。

検察官が主張する一連の暴行の最初の被害者とされる橋本巡査は、当公判廷における証言において、「自分は前進はスムースに行けたが圧縮始めの命令が伝達されたので、立ち止まり体を左斜め前にかまえ両手を八の字に広げて圧縮を始めると同時ぐらいのときにかまえていた自分の左腕にデモ隊員の一人の右手が触わった、わざと突かれたように思ったが、丈夫な小手をはめていてあまり痛くもなかったので放っておいた」旨供述しているが、付近にいた他の機動隊員らの証言をみると、橋本巡査の直ぐ左隣りにいた渡辺巡査は「デモ隊の一人と肘と肘が接したような形になった」旨、西本巡査は「圧縮しているその手をはらいのけるような感じで肘が上がっていた」旨、矢野巡査は「積極的に腕をふりほどくように右肘を後ろに引いた」旨、また以上四人の機動隊員の背後に接近して立っていた採証班員の菅巡査は「規制に入ったか入らないかの時点、規制位置についてまだ何もしていないすぐに駅の方を向いていた労組員の一人が右肘を上に突き上げるような格好をしそれが機動隊員の胸付近に当った、叩いたというのは語弊がある」旨供述しており、胸付近に当ったとする菅証言は当の橋本巡査自身がそれを認めていないことからみて措信できず、その他の証言は、いずれも被告人の肘が橋本巡査の肘と接触しその際被告人がそれをはね上げるようにしたことまでを窺わせるに過ぎないもので、検察官が主張するように被告人が進んで橋本巡査に肘突き攻撃を加えたことまでを認めるに足りる証拠はない。

そこで、右各証言に被告人の当公判廷における供述を併せて考えれば、被告人の橋本巡査に対する関係事実は、前記認定のとおり、前方交差点の信号待ちで一時停滞していたデモ隊が当日午後二時三分ころ再び行進を始めたので、デモ隊最右翼にいた被告人も前方に向き直り二、三歩進みかけたとき、その右横を前進してきてまさに圧縮規制に入らんとした機動隊員橋本巡査の小手をはめた左手が被告人の右肩から肘付近にかなり強い衝撃をもって接触したため、被告人は、とっさの反応として幾分抗議的な感情の動きも伴ない、反射的に体を右に開いて振りかえりざま、接触された相手の腕を振り払うように右肘を強くあげたものと認定するのが相当であり、このような被告人の行為が意識的な攻撃意図のもとに加えた暴行と評価しえないことはいうまでもない。

2  渡辺巡査関係。

渡辺巡査自身および橋本巡査は、当公判廷における証言において、右被告人と橋本巡査の接触があったのち、「被告人は隣で圧縮規制に従事していた渡辺巡査の胸部を右手拳で空手突きしたが、同巡査は身体を後ろにのけぞらしてかわした」旨、いずれも検察官が冒頭陳述で主張している事実に副う供述を行っている。

しかしながら、前記のように右渡辺巡査の至近距離にいた機動隊員ら、すなわち、西本、矢野、菅の各巡査は、いずれも、橋本巡査に対する被告人の動きを異常なものと気付いていたのであるから、その直後の動きを見逃がす筈もないと思われるのに、そのうちの誰一人として渡辺巡査に対する手出しを現認していないところからみると、前記橋本、渡辺の両証言はにわかに措信することができない。

もっとも、西本巡査は、「被告人が橋本巡査の前で右手を上にあげたとき(隣の)渡辺巡査がちょっと体を開いてよけたような感じがした」旨証言していることなどから推量すると、前項で認定したとおり被告人が右肘をふり払うように上げて身体を開いた際の右こぶしが橋本巡査の北隣りにいた渡辺巡査の胸付近をよぎったのを、同巡査が自分に対する暴行と誤解したものと考えられないでもない。

いずれにしても、被告人が渡辺巡査に対して暴行に及ぼうとしたとする事実は証拠上これを認めることができない。

3  矢野巡査関係。

本件公訴事実の被害者とされる矢野巡査は、当公判廷における証言において、自分に対する被告人の暴行に関して、「圧縮規制中、機動隊員に対して積極的に腕をふりほどくような格好をしているデモ隊員(被告人)を認め、それが何か私たちの規制に対して反抗的であったので、ちょっと強い口調で「何をしよんのか、君は。」と注意した。私も規制して前に行っていたから同人との差は一メートル足らずに接近していたが、同人は私のことばと同時に振り向いて、「何や」というなり、右手のこぶしを脇にかため、左足を一歩踏み出し、こぶしを回しながらちょっと上向きに突き上げて、左胸部を殴打し、「ぽこっ」というような音がした。私は「うっ」という声を出してショックで半歩位後ろへ下がったが、別に痛みは感じなかった」旨ほぼ検察官の冒頭陳述に符合する事実を供述しており、その他橋本、渡辺、西本各巡査の証言も一応これに副うものといえる。そして検察官は、被告人がたまたま空手初段の免許を有していること(被告人も自認するところである)に結びつけ、右各証言に顕れた被告人の暴行の状況がいわゆる空手道の中段突きに当るとして、被告人が機動隊員に対して危害を加える意図のもとに積極的な攻撃をしたと主張するもののごとくである。

しかしながら、一般的にみて、もしデモ隊全体が何らかの事情のもとに機動隊と対立斗争しているような場合ならともかく、そのような状況下にないのに、防護服に身を包んだいわば完全武装の多数機動隊員から圧縮規制を加えられている最中、さしたる動機もないまま進んで右機動隊員に危害を加える意図で暴行沙汰に及ぶなどということは、それが直ちに自身が逮捕される危険につながるばかりか、むしろはね上がり行為として仲間の支援さえも期待できないことなどを思えば、極めて非常識かつ無暴なものというべく、通常考えられない行動であるとしなければならないが、他方、機動隊側からいえば、被告人の矢野巡査に対する暴行がなされたとする時点に間髪をいれず南隣りにいた西本巡査が「公妨逮捕」と叫んで逮捕行為に着手している事情が同人の証言その他で認められるところ、そこに全くの誤認が介在した場合は別として、何らの原因行為もないのにことさら事実をねつ造してまで現に集団示威行進中のデモ隊員をいわれなく逮捕するということも、そのことが直ちに大きな集団的反撥と混乱を惹き起こすことが必然と予想されるだけに、容易に想像しにくいことである。

右の事情も考慮に入れながらさらに事実を推究してみるのに、前記菅巡査は、極めて至近距離にあって、被告人の橋本巡査に対する最初の行為を現認しながらその直後の矢野巡査に対する暴行の事実を目撃していないというのであるが(菅証言)、このことは仮りにその際他の機動隊員らが目の前に立ちふさがって暴行の状況を遮へいしたものとしても、被告人の行為が目立つほどに大げさなものでなかったことを推量させるものであり、同時に、当の矢野巡査自身も、「(被告人が)まさか殴ってくるとは思わなかったから」と証言しているところから、被告人の暴行が同巡査の不意を突いた一瞬のものであったことが窺われ、これに被告人の直近にいた全電通の他のデモ隊員である千原宣典ほかの証言をも参酌すれば、被告人の矢野巡査に向けられた行為としては、次のような態様のもの、すなわち、被告人は、前記認定どおりまず橋本巡査との接触があって、思わず反射的に同巡査の腕を振り払うように右肘を強くはね上げたのであるが、前記の事情で自から違法行為を行っているとの自覚がない同人としては、瞬間的にむしろ接触した機動隊員の所為を咎める心情にもあったところへ、逆に被告人の行為を警察官に対する不当な抵抗と受け取った矢野巡査から感情をこめた厳しい口調で「何をしよんのか、君は。」と注意され幾分詰め寄られたような相互の態勢になったため、思わず(何をいうか、お前の方こそ悪いではないかとばかり)、「何や」といいながら、丁度橋本巡査の左肘をはね上げて振り廻した右手の拳を固め矢野巡査の左胸部をこずくように突いた程度のものと認めるのが相当であって、これが検察官が主張するように強い加害意図をもってなされた空手の中段突きといった強力かつ攻撃的なものであったとは認め難い。

そしてまた、右被告人の暴行が矢野巡査に与えた打撃の程度にしても、防護服を身につけた同人にとっては、自ら痛みは感じなかったと証言しているように極めて些少なものであったと認められるのである。

前記検察官の主張に副う橋本ほかの警察官の各証言は、多分に誇張された面が見受けられ、直ちに措信することはできない。

(以上認定事実の証拠の標目≪省略≫)

五、公務執行妨害罪の成否について

さて、以上の検討により当裁判所が認定した諸事実に基づいて、本件公訴事実である公務執行妨害罪の成否について案ずるに、検察官は、当時被告人が属していた全電通てい団が、その集団示威行進中、あらかじめ大分警察署長が道路交通法七七条一項、三項に基づいて付した許可条件に違反して、道路いっぱいになって行進し一般の交通の安全と円滑を阻害したため、警察法二条、警察官職務執行法五条により、これが制止行為として適法に圧縮規制をしていた機動隊員矢野巡査に対して被告人が暴行を加え公務の執行を妨害した、というのであるが、既に前記二で認定したとおり、全電通てい団は、大分駅前外堀交差点手前で信号待ちのため暫時停滞中ある程度隊列を乱して車道に広がった事実こそあるけれども、その具体的諸状況に照らしてみれば、これがいわゆるフランスデモの状態といえないのはもちろん、いまだ前記許可条件に違反した場合とも認められないのであるから、これを前記許可条件に違反したものとして被告人を含め全電通てい団のデモ隊員らに圧縮規制の実力行使を加えた行為は、警察官職務執行法五条等に基づく制止の要件を具備するか否かを吟味するまでもなく、その前提において既に根拠を欠き、客観的に違法な職務の執行といわざるを得ない。

そして、右機動隊員らの圧縮規制の行為そのものが違法なものである以上、他に適法な公務を執行していたとは認められない前記矢野巡査に対してなした被告人の所為に関し、もはや公務執行妨害罪成立の余地がないのはいうまでもない。

六、暴行罪の成否について

ところで、前記四において認定したところによれば、検察官が主張するような強力な態様のものではないにせよ、外形上被告人の矢野巡査に対する有形力の行使が認められないでもないところ、本件公務執行妨害罪の訴因は暴行罪のそれを包含するものと解するので、あらためて同罪の成否について考える。

前記認定のとおり、被告人の矢野巡査に対する暴行は、被告人が全電通てい団の一員として正当に集団示威行進中、機動隊第一分隊員からの違法な実力行使である圧縮規制を受けるに至った際、たまたま自分の身体に接触してきた機動隊の一人に対し思わず反射的な反撥行為に出たところ、これを適法な公務の執行に対する不当な反抗と見咎めた矢野巡査からきつく注意されたため、今しがたの機動隊員との接触で気分を害してもいた被告人において多分に抗議的な感情も交えながら、前記反撥行為に引き続き右矢野巡査の左胸部を一回右手拳で突いたものの、それは当時防護服に身を固めていた同巡査に対して全く痛みを感じさせない程度のものに過ぎなかったというのであるが、もともと集団示威行進中のデモ隊員に対し実力行使を伴なう違法な警察力の介入が行われれば、そこに多少のいざこざが生ずるのは成行き上むしろ当然のことであり、それがたとえデモ隊員による正当防衛行為とまではいいきれないような場合においてさえ、双方接触の過程で通常生じ得ると予想される程度の暴行のごときは、もとはといえば警察側の違法な実力行使にきっかけがあったことの事情にも鑑み、これをあえて咎めだてしてその刑責を厳しく追及するに足らず、当該暴行の動機、態様、程度等具体的事情を総合的に観察して被害法益に対する侵害が極めて軽微な所為とみなされるようなものについては、ことさら刑法上の処罰の対象として取り上げないことがあっても、あながち刑政の目的に反しないものというべく、むしろその方が全法律秩序の目的にも合致した合理的な結論と思料されるのである。

右の観点に立って前記被告人の矢野巡査に対する暴行を考察するに、これは、被告人が前記機動隊員による違法な圧縮規制を現に受けつつあった状況のもと、機動隊員の一人に接触されたことがきっかけとなって行なわれた全く偶発的瞬間的な行為であって、決して右矢野巡査に対して積極的に危害を加えようとする強い犯意を伴なったものでなく、しかもその相手方に対してはほとんど痛みさえも感じさせなかった程度の些細な打撃に過ぎなかったものであり、これが矢野巡査自身の実力行使に対応するものではないことから被告人自身の権利の防衛行為とまではみなしがたいところではあるが、なお全体的な状況に照らせばそれに類する実態があったともいえることなど、諸般の具体的事情をかれこれ勘案すると、結局において、被告人の矢野巡査に対する前記暴行は、犯情ならびに法益侵害の程度とも極めて軽微なものと認められ、刑法上の暴行罪が予定する可罰的違法性を具備するものとは評価し難いのであって、これをあらためて犯罪として処罰することは当裁判所として是認することができない。

第四、結論

以上説示のとおり、本件公訴事実については、公務執行妨害罪もしくは暴行罪のいずれとも成立しないので、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをすることとする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 濱田武律 裁判官 三宮康信 吉田哲朗)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例